【雑記】 生活保護でウナギだと?

皆さんこんにちは。本日は時事ネタ雑記です。

朝日新聞DIGITALから引用 京都で生存権を求めるデモ 「たまにはウナギも食べたいぞ」https://www.asahi.com/articles/ASRBL76KNRB2PLZB007.html


このニュース記事を読みました。ウナギいいですなぁ。自分も食べたくなってきました。そう言えば、「印旛沼漁協 水産センター」にそのうちウナギでも食べに行こうかと思いつつ数年が経過しました・・・ 高いし、中途半端な距離で休日1日潰れそうなので、なかなか実行できないですね。


で、本題の生活保護受給者のウナギの話になりますが、食いたきゃ食いに行けばいいと思いますよ。金が捻出できないのなら支給額増額の交渉でも何でもすればいいと思います。それが権利ちゅーものではないでしょうか。

この手の報道があると、必ず出現するのが、「こちとら真面目に働いているのにウナギなんぞ食う余裕ないんじゃあーーー」と言うような反応です。

彼らに「だったらもっと稼げば良いのでは?」なんて言った日には、「できればやっとるわい!」と返ってくることでしょう。

これ、程度の差こそあれ、双方とも「無理言うなよ」と主張している点は同じです。真面目に働いているのに余裕が生まれないのも、労働することができない生保受給者も、現状打開するのは難しいですよ。不可能とは言いませんが、そう簡単にはいかないでしょう。

そして、京都の生保デモについては、ゴネてるように見えますね。端的に事実だけ述べると、「労働はしない。もっと金くれ」と言うことになります。個人的に言えば増やしてあげるべきだと思いますよ。確実に物価が上がっていますし。

一方で、生保受給者に対する締め付けを強くしようと主張している意見を多く目にする気がします。(実際に多数派なのかどうかは知りません)

しかし、ここではその主張に異を唱えたいと思います。偉大なる先人が組み上げた課金大魔法、それが生活保護システム。

国民の課金(税金)で、封印の大魔法(生活保護)を発動し、災いを封じ込めており、その封印を解いてしまうと世に災い(配慮されて当然だと考えている連中)が解き放たれてしまうと。

元気なのに働かないとはけしからん!と言うのはごく表面的な部分での判断です。もうちょい物事の時間を進めて考えてみれば、少し考え方が変わってくるかもしれません。

物価高なのでお金が足りなくなると、比較的健康な生保受給者は仕方なく労働しはじめるわけです。それが何を意味するのか?京都でデモするような連中がどこかで誰か(アナタかも?)と一緒に働くことになるのです。受け入れ先企業や、一緒に働かねばならない人たちのことを考えると、、、

ぶっちゃけた話、各人色々事情はあれど、生保受給者=戦力外 と言うことには変わりなく、残酷な話ではありますが、足手まといなわけです。

彼らを積極的に労働のシステムに組み込もうとすれば、受け入れ先企業に助成金支給したり等、何だかんだで税金がかかってくるのは不可避。であるならば、今のまま生活保護で囲ってやるのが丸くおさまるはず。

元気なのに受給しているような恥知らず相手に働けと言うは易しいけれども、うちで一緒に働きませんか?とはなかなかならないでしょう。でもね、生活保護ならば税金で彼らの居場所を用意できるのです。働け連呼している人たちは、どこの誰が受け入れるのかまでは考えていないように見えます。これまで扱いが難しい問題を金で解決していた側面があるので、それを崩すとなれば、よほどの良案が必要かと思います。

先人の考案した生活保護と言うシステムは色々な面で素晴らしい仕組みだと思います。マジでケチ付けるところないですよ。自分が世話になる可能性だってあるわけですし。不正受給の件は公金絡めばどこにでもある問題なので、生活保護だけの話ではありません。

デモについては、今後も戦力外を継続していくと言う意思表明みたいなものだと考えればね、まぁいいんじゃないでしょうか。デモ起こしているうちはまだ安心。ただ、陰謀論的な目で見ると、国民の怒りの矛先の向きを変える目的があるような無いような… それとも、まさかウナギ業界のステマか?

まぁ、何にせよ彼らもウナギが食えるようになるといいですね。

ただね、働いて食うウナギと、税金で食うウナギの味は同じといえるのかな?

おわり

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